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サッチャー 鉄の女 アンビリーバブボー特集!サッチャーの死はいいこと?! [テレビ]

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マーガレット・ヒルダ・サッチャー。イギリス初の女首相(在任: 1975年 - 1990年)強硬なその性格から「鉄の女」の異名をとった。
世界に名をとどろかせていた女政治家。イギリスの不況を救ったといわれた彼女の死に誰もが悲しみにくれた・・・・・と思われたが

『金を鳴らせ!!悪い魔女は死んだ』

と歌われた。

いったいなぜだろうか?


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1925年、特別裕福とは言えない食糧雑貨商の家に生まれる。
市長であった父(アルフレッド・ロバーツ)の教えである、

「自分にできることを全力で行う」
「自分の信念は曲げてはいけない」

という教えを受け壮絶な人生を駆け巡る。この言葉は死ぬまで彼女の信念として持ち続け実行してきた。
世の中を良くしようと世間に働き続けた父の影響を受け彼女自身も政治を目指すこととなる。

1953年に10個年上のデニス・サッチャーと結婚し、サッチャーを名乗ることになる。

結婚後法律の勉強をし、弁護士資格を取得。
何度か落選するも諦めず3回目で当選となる。

当選後も男社会の洗礼を受けることとなるがそこでも諦めず女性としての武器を生かし、堂々たる女性政治家として活躍。

父の目指した『個人個人が努力する社会』を目指し、当時のイギリスの『至れりつくせりの福祉』を変えようと彼女も奮闘した。

自分を信じ、自分の考える政治を社会を目指し突き進む中で何度も国民、対立政党から批判されることもあったが自分の信念を信じ突き進んできた。

『鉄の女』のほかにも『ミルク泥棒』などのニックネームも付けられている。


さまざまな話題を巻き起こす中、ソ連との政治関係を批判しついに1976年

『鉄の女』

と呼ばれ非難された。

しかし、彼女はこの皮肉の名前を気に入り彼女の代名詞となった。


国有化された企業の民営化、さらなる国の福祉の軽減をし国民に努力でつくる経済・社会を目指し実行してきた。

それが、彼女が恨まれ、死を祝われる原因ともなる。

彼女の政策でイギリス経済は立て直されたが、民営化された影響で職を失う国民も多く、貧富の差が生み出された。彼女の政策のせいで貧しい生活を強いられる人が今も彼女を恨み続けている。


国を大きく変えた鉄の女の死をうらやむ国民も多くいるは事実だが、国に与えた財産・思想は偉大だ。



私は誰よりも自分を信じるマーガレット・サッチャー尊敬する。


辞任後、インタビューで彼女は涙を初めてメディアで涙を流した。

鉄の仮面が剥がれた瞬間だった。






強い彼女にも弱いものがあった。それは子供だ。

彼女の息子はバカ息子だ。

数々の問題を起こし、警察にお世話に。
サッチャーが警察に罰金は1億円以上。

子供には鉄の女として接することはできなかったサッチャ-。

親バカだった。





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